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2021-04-02

作者

社会で展覧会が果たす役割は長く安定していました。

アーティストが作品を生み出し、次いでキュレーターが作品を選ぶ。

キュレーターの役割は作者と公衆と取り持つ者であり、それぞれはっきり区別されていました。

しかしながらこの時代は完全に終わったようです。

今日の美術は作る側と選ぶ側が完全に一致によって定義されています。

すくなくともデュシャン以降芸術を創作することと選択することは同じになっています。

つまり物を作り出すだけではアーティストとみなすのはもはや不十分であるということなのです。

デュシャン以降作者はキュレーターとなった

そこで芸術作品は何か?との古くからの問題が生じました。

その答えは展示されているものが芸術作品であり、展示から降ろされた途端に芸術作品ではないということです。

そして今日の美術は対象物ではなく対象物が展示さるアートスペースのことをいうのです。

インスタレーションが現代美術を先導する

今日大衆は芸術家の主体性を以前のように崇拝することに異議を唱えています。

こういった反抗は作者という属性は美術の制度やアートマーケット、美術批評家が戦略的にスターを作り上げそこから商業的利益を用いるための慣習であると見抜かれているためであるからです。

芸術家個人が昔ながらに持ち続けていた自己統治性が完全に消滅してしまった今日それは当然と考えるでしょう。

現在の美術界は丁度映画や音楽にますます似てきています。

脚本家、演出家、俳優、カメラマン、監督といったように多くの関係者が多重に重なりあい作者性を振り分けているのであるといえばわかりやすでしょう。

この体制の下で作者はもはや制作したものによって評価されることはなく、参加した展覧会やプロジェクトによって評価されるのです。

Hiroshi Ikeda

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